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僕が社長です。

Profile:
伊丹美裕 -- いたみ よしひろ -- 東京都下在住
出身地:
 静岡県静岡市
最終学歴:
 成蹊大学工学部経営工学科
資格:
 普通自動車運転免許
 大型二輪車運転免許
 第一種情報処理技術者
経営履歴:
 1986/10/01 株式会社ミュウテック 設立 代表取締役就任
 2002/06/26 有限会社テラ 設立

Mixiやってます。 こちら
 FacebookとTwitterもアカウントだけは持ってますが...

Works:
対潜哨戒シミュレータ
パケット通信で動くテキストエディタ
NC加工データ作成のための図形エディタ
メガネ玉形エディット、顔画像合成プログラム
家庭用ゲーム機のゲームソフト
コンビニATM
携帯電話ネットバンキング
OpenGLによる戦闘機の表示
PDAデモプログラム
3Dグラフィックスを使用したGUI作成支援ツール
Androidアプリケーション開発
Unityアプリケーション開発
クラウド上のWebアプリケーション開発

Hobby:
 忙しい人生の合間を縫って、気力の充実のため、現実逃避のため、あるいは単なる欲望の赴くままに励むのが趣味だと思っています。現実逃避でも欲望の赴くままでも良いのです。戻って来れれば。
 写真、音楽、バイク、車、スキー、ダイビング、アニメ、特撮と節操がないですね。大学時代は漫画も描いていましたが、今ではすっかり描けなくなっているでしょう。
 最近、はまっているのがダーツ。パーティ的にワイワイやるのも良し。「ここに刺さらなければ負ける」ってシビアな局面もまた良いものです。

余の辞書に「大人気ない」の文字はない
 好きな言葉。てゆーか勝手に作った言葉です。
 大人だから...とか、XXXはもう卒業、って言葉は大嫌いです。法的にも生物学的にも「大人」になっちゃったのはしょうがないですが、平均的日本文化の定義する「大人の枠」にははまりたくないものです。

【テラ設立】
 テラを設立する前、ミュウテックという会社をやっていました。これは大学時代の友人と2人で共同経営のような体制でした。2人とも若く、将来を信じ意気揚々と立ち上げたのでした。僕が制御系や事務系の案件を扱い、相方は家庭用TVゲームの案件を仕切っていました。
 ミュウテックも良い時は良かったですね。最大でも6,7名の社員数でしたが、それなりに収益を上げていました。
 ミュウテックが破綻したのはツートップということが原因でした。逆に3人だったら多数決が成立するのですが、2人で意見が合わないとどちらにも行けません。会社としての意思決定の遅さから案件を逃したり、有望な入社希望者を逃したりといったことが続き先細りになってしまいました。
 大きな会社に対して小さな会社の利点はフットワークの軽さですね。これを痛感し、テラは独りで立ち上げました。心細さもありましたが、社員の尽力、ミュウテック時代に培った人脈などに助けられここまでやってきました。
 ちなみに社名ですが、ミュウテックの「ミュウ」はマイクロを意味するギリシャ文字。「テラ」は「ギガ」の千倍です。小さいので失敗したので大きいので。そして「夢は大きく」です。

【テラ創業期】
 2002年、テラを始めた当初は社員1名と僕で客先常駐メインで活動していました。とにかく目先の業務をこなし、一定の売り上げを得ることに必死でしたね。
 この頃のテラの本店所在地は僕の自宅です。
 この時代はバブル崩壊後とはいえIT業界は元気で、続けていけば右肩上がりに成長できる時代でした。この時期に僕自身が実務に忙殺され、事業拡大できなかったのが心残りですね。

【大手との取引】
 2004年に某大企業と直接取引きできる機会を得て仕事が増えました。最初は客先常駐でしたが、コンプライアンスの気運が高まり、常駐請負の契約が難しくなり、自社内での請け負い契約になりました。
 これをうけて、2006年に吉祥寺に事業所を借りました。僕自身、静岡の出身で、成蹊大学に入って初めて東京で独り暮らしをしたのが吉祥寺でした。もちろんビジネスに有利な立地であることも大きな要因でした。
 この頃は社員も増え、順風満帆でした。自社内で作業が出来ると好きなプログラミングと経営を両立できます。それなりに忙しかったけれど充実していました。

【リーマンショック】
 2008年のリーマンショック。直接の影響ではないのですが、機を同じくして大き目のプロジェクトが終了したのは痛かったです。次の仕事を探そうとしても、そこはリーマンショック後の世界。なかなか仕事が見つからず、私財を投入してなんとかつなぎました。
 この時期は本当につらかったですね。ミュウテック時代もつらい時期は有りましたが、思い返してみるとミュウテック時代から通じて社員の給料が遅れたことは一度もありません。これは、僕の誇りです。自分の良いところは威張っていいと思いますよ。威張ってしまえばひっくり返せませんからね。
 この頃は、必死にいろいろな会社を回ったおかげで、自社の社員では対応できない業務を他社にお願いするような仕事が増えました。悪く言えば横流しですが、僕自身が納得できるエンジニアを提案することにおいては妥協できなかったので、自社の社員では力不足の案件を他社に求めたわけです。僕自身、エンジニアに直接会い、納得できるエンジニアを提案していました。
 皮肉なことに、この時期の売り上げは過去最大でした。

【またまた客先常駐へ】
 2010年にはリーマンショックの余波も落ち着いて、収支も安定してきました。
 この時、社員は2名に減っていました。もう少し余裕があれば引き止めることが出来たのにと思うと残念です。
 前述とは別の某大手企業の常駐案件を得ることが出来、最終的には僕を含めた3名でそちらに専念しました。ここは、若手エンジニアと、老練な職人エンジニアが混在する不思議な現場でしたが、いろいろ刺激があって楽しい現場でした。新しい技術もどんどん取り入れ、試行錯誤や仕様変更の嵐でしたが辛いと思ったことはありませんでした。

【社長業に専念】
 2013年3月末に前述のプロジェクトが終了を迎え、メンテナンス要員1名を残し現場を引き上げました。
 僕も含め、社員フル稼働で適当な案件をこなしていけば、黒字で回っていくのは間違いありませんが、それではいつまでたっても、同じ規模のまま発展はありえません。これを機に僕は社長業に専念することにしました。思い返せば、ミュウテックを設立してから26年。ずっと何かしら実務を持っていました。テラでは僕の売り上げが全社員の中でトップでした。
 ある意味、やっと社長になったということです。目先の実務ではなく、会社の将来を考えて戦略を練り実践する。ここがスタートラインだと思っています。

【再び、現場に】
 2013年12月。某大手からの依頼で再び現場に。
 スマホ向けのゲームのストリーミング配信システムの試作。
 Androidクライアント側のアプリ開発のコア部分を作った。サーバー側も少し手伝う。
 その後、別の案件でWebシステムなどの開発に携わっています。59歳になっても現場が求めてくれることはありがたい事。会社の経営と両立させるのは大変ですが、現場からの期待には出来る限り応えていきたいと思う今日この頃です。

【テラのこれから】
 派遣とか常駐案件で回していくことは確実ですが将来性は疑問です。リーマンショックのような大きな社会的変動には耐えられませんし、人数勝負で大きな会社には勝てません。利益に走って社員の適正や希望よりも儲かる案件を優先すればブラック企業にもなりがちです。なにより、楽しくありません。夢がありません。
 人を売る会社からモノを売る会社へ。これを目指します。
 当面は、派遣や常駐案件なしでは成り立ちませんが、1,2年を目処に受注案件に移行しようと思います。

 技術としてはWebアプリケーションに力を入れていきたいですね。
 HTML5とJavaScript、PHPなど組み合わせれば簡単に高機能なページが作れてしまいます。データベースの構築も簡単ですね。これをクラウドにのせてしまえば自社サーバーが持てない規模の会社様にも提案していけそうです。
 WebGLを使えば3D表現も出来ますよね。WebGLはシェーダから書けるので高度な3D表現が可能です。Three.jsを使えばもっと楽。
 JavaScriptではARも出来ます。組み合わせ次第では面白いページが作れそうです。